LunaticMs. 2「退屈な日」
四月、出会いの季節。校庭の桜が咲いている。八分咲きといったところか。
亜里棲と冥。当校の付属幼稚園からの友人同士であり、晴れて高校生となった今も変わらない。
しかし、問題が。中等科の時と同じく、またもや所属するクラスが違ったのである。
「なかなか一緒のクラスになりませんのぅ」
「ばあさんや、飯はまだかのぅ」
「一昨日食べたでしょぅ」
「毎日食わせろ」
二人は、亜里棲の机に置いた仮入部届けとにらめっこしている。
「あー、ちくしょー、クラスが違うからせめて部活だけでもと思ったが…」
冥はため息を吐いた。
「決められなーい」
二人同時に言って、仮入部届けを投げ上げた。
「やっぱ吹奏楽だよ」
「将棋部でいいわよ」
「私より弱いのに?」
「うるさいわね!」
亜里棲は、初等科から今まで通して将棋部だった。
将棋部に入ったのは、将棋をやるためではなかった。将棋部の部室(42畳の和室)に置いてある遊び道具を使うためだった。なので中でも将棋は苦手な部類だった。
時計は一時半を指している。窓の外を見れば、サッカー部と野球部が練習をしている。
(毎度思うけど、この学校はどんだけ広いんだよ)と、亜里棲。
高等科の校舎の反対側には、図書館をはさみ、テニスコートまである。
二人が通う帝真学公課総学科は、付属幼稚園から、大学院まで内在する巨大な学園である。学内施設も多面テニスコート、広大なグラウンド、50メートルの屋内プール、二階建ての体育館が数棟、コロッセオの形状をモチーフにした闘技場、学外でも人気があるカフェのチェーン店、ファミリーレストランなどを始めに、様々な建物が並んでいることでも有名な学校だ。病気や怪我も安心して治せる病院棟なんてものまである。
学内の生徒すら、その全容を把握しきれていない程だ。
「亜里棲、あんたも吹奏楽部にしなさい」
「なんで!?」
「あんたどうせ、花札しかしないんでしょ」
「偏見だよ」
偏見ではなく、これまでの実体験から冥は言っていた。
亜里棲だけではない。花見家の人間は皆、大黒柱の黒白に影響されて花札をやっている。
つい最近だが、冥も涼からルールだけだが、教えてもらった。現在では何故か冥の方が強い。
亜里棲は、仮入部届けを拾い上げて何やら書きはじめた。
「ちょ、まだ決まってないでしょ!?」
「仮入部なら」
亜里棲は冥に顔を近づけて声量を上げる。その行動に内心、ドキッとした冥。
「三つ、選べる」
そう言って、三つの空欄を埋めた。
吹奏楽部、将棋部、そしてなんの冗談か、最後の欄には帰宅部と書かれた。
「第一希望、吹奏楽部だけどいいの?」
「冥がどうしてもって言うなら……ね」
「どうしても」
「素直に言うな」
冥にどつきながら、もう一枚の仮入部届けを彼女に渡す。
「冥も書きなよ」
言われたとおり、同じく渡されたボールペンで書きはじめる。
「吹奏楽部、将棋部、帰宅部……亜里棲と同じよ」
「重畳」と言って、亜里棲はニッコリ微笑んだ。
「これを提出して、お昼食べて帰ります?」
「もうこんな時間? どおりでお腹すくわけだわ」
今日は午後の授業がなく、高校生活の決まりごとについて担任が一方的に喋るだけの半日だった。
生活指導の教師である安藤には目をつけられるなよ、という一言が印象に残っている比較的好感の持てる先生ではあった。アバウトでアウトローで口の悪い先生という感じもある。
二人は立ち上がり、鞄を持ち上げた。忘れ物がない事を確認し、そのまま教室を出ていった。
扉の上に「1-1」という札があった。
「ねぇ亜里棲、重畳ってどういう意味?」
サッカー部がグラウンドで練習しているのを見学する生徒が二人。たった今、グラウンドのベンチに腰掛けた所だった。
「おまえサッカーなんかするの!?」
「馬鹿言うな。俺は万年帰宅部だ。とくにしたいこともないしな」
「なんでも器用にこなすからな」
「そういうのやめろって。俺は人が思うほど出来た人間じゃない」
彼は、自分の仮入部届けを太陽に透かして見る。名前欄には、崎野暁也と書かれている。
「涼、もし俺がここの第一希望欄にサッカー部って書いたらどうする?」
「どうもしないけどよ、中学の時みたいに遊べなくなるぞ」
「それで三年連続留年しかけたっけな。ありゃおまえにも罪があるぞ」
「なんでだよ」
「俺が試験勉強するって言ってるにも関わらず、遊びにつれだすのはいつもおまえだ」
遊びの天才を自称している彼だが、そのほとんどが自己満足でとどまる程度。過去に、この学校に同じ二つ名を持った教師がいた。名前を花見黒白と言った。暁也の隣に座っている彼が花見黒白の息子、花見涼だった。
暁也は、財布から取り出した小型のペンで仮入部届けに記入する。
「お、おい……暁也? 何をしてるんだ? 何を書いているんだ!?」
「さぁな」
「言え! 何を書いているのかと聞いているんだ!」
仮入部届けに記入し終えて頬を緩ませた暁也を、黙って見過ごすわけにもいかなかった。
「本気でサッカー部に入るのかよ!」
「本気じゃない。趣味のひとつだ。それに……」
涼は、一瞬だが暁也の表情が悲しそうに見えたのを見逃さなかった。しかし、すぐにフッと笑みをこぼした。
「丸くなっちまったな、俺は」
「は?」
「白と黒さえ塗れば後は蹴られるだけだ」
「おまえがボールかい!」
「イグルーのボール強いよ」
「知らねぇよ! なんの話だよ!」
その後、涼はやりたい部活も見つからず、適当にパソコン部に本入部までしてしまい、後悔したが、それはまた別のお話。
「さてと、提出しに行くか」
「くっそ! 何も書けてねぇよ! ええい、帰宅部だ!」
「……」
「なんだよ、文句あるか?」
「いや、別に。今日は天気がいいなと思ってな」
涼は、怪訝そうな表情で暁也を睨んだ。
職員室に行く前に、暁也は自分のクラスに一度戻った。自分の鞄を取りに戻るためだった。
同じく涼も教室に荷物を取りに向かった。暁也は五組。涼がいる三組は、職員室に近かったのでそこで待つことになった。
暁也が教室に入ると、すでに誰もいなくなっていた。荷物もないので、帰った後だろう。仮入部届けで悩んでいたのは自分達だけだったらしい。
自分の鞄を取って、すぐに気づく。隣の席に、まだ鞄が置いてある。暁也の見知った物だったので、見知った人物がまだ校内に残っていると分かった。
その人物は数秒もせずに、教室に入ってきた。
「あれ? 暁也?」
彼女も同じく、ペンと空欄のままの仮入部届けを持っていた。悩んだ挙句、結局決まらなかったようだ。
「おう、京香」
「こんな所で何してるの?」
「仮入部届けを提出するのさ。特にしたい事もなかったが、おまえが言ってたサッカー部に入ることにした」
「へっ?」
「覚えてないのか?」
中等科の頃、卒業前に京香が気まぐれで言った「サッカー部でも入ってみたら?」の一言がきっかけだったが、そんなこと本人も忘れていた。が、すぐに思い出して顔を赤くする。
「お、覚えてたの!?」
「ああ、まぁな」
「覚えててくれたんだ!」
「え? うん……」
「じゃあ私も!」
そう言って、京香は自分の無記入の仮入部届けを埋める。上野京香、第一希望、サッカー部。もちろん、マネージャーだ。
「仲いいな」
その声を聞いて、振り返る暁也。そこにいたのは、鞄を持った涼だった。なんだかジト目で睨まれている気がする。
「さっさと出しにいくぞ。待ってても来ないと思ったら、油売ってやがったのか」
「そんなもん売れるか、こんな所で」
「おまえ本当は馬鹿だろ?」
「なんで?」
涼は呆れて溜息を吐いた。
京香と暁也は、自分達も鞄を持って教室を出た。
職員室に到着し、中に入る。仮入部届けの束がある机を見つけると同時に、見知った顔も発見する。
「お姉ちゃん」
涼の一言に対して「涼」と返ってきた声は二人分。
「冥もいたのか」
「私はおまけかい」
「そんなこと言ってないけど、喋りすぎるとおまけ臭がするようになるのは確かだ」
「あとで覚えてろよ」
涼の耳元で小さく言うと、冥は先に職員室を出た。
「何? 涼達も仮入部届け?」
「そうさ。こいつらサッカー部だってよ、笑っちゃうよな。男は黙って帰宅部だってのに、なぁ、お姉ちゃん」
「私は男じゃないし、帰宅部でもない」
記入済みの仮入部届けを束の上に置いた。冥の仮入部届けを覗き込む涼と暁也と京香。
「吹奏楽部と将棋部……全くつながらない部活だな」
「しょうがないでしょ? 冥に合わせたんだから」
それだけ言って、亜里棲は職員室を出た。
「さてと。俺達も始末書を出したところだし、切り上げて飲みに行こうぜ」
涼は、洋画のワンシーンを真似て低い声でそう言った。
「さっきから思ってたんだけど……」
言い出しづらいのか、もごもごと口を動かしている京香。
「なんだよ、言ってくれよ」
「さっきから喋りまくってどんどん三枚目になっていってるのは、涼の方じゃないかな?」
「えっ?」
暁也は彼女に「よく言った」と、親指を立てて見せ、一緒に職員室を出た。
「三枚目……あっ、ちょっと待ってくれよ!」
続いて涼も、職員室から出ていった。
紅葉舎の社長室からもっとも遠いパーテーションのデスクで、すやすやと昼寝をする社員がいた。職務怠慢ではない。上司の編集長が咎めないのが、その証拠。
昼寝をする社員、実は昨日の夜中から始まった海外での仕事を済ませ、二時間前に事務所に戻ってきた所だ。普通なら時差ボケを治すのも合わせ、二日かけていいぐらいの仕事だった。
しかし、年に平均600万円以上稼ぐ―多い時で約2000万円―この社員には、まったく関係ない話だった。さっさと仕事を済ませ、さっさと眠る。もしくは、遊ぶ。
彼は遊ぶためだけに、遊ぶ金欲しさに働いているにすぎず、仕事に対しての興味はほとんどない。
そんな変わった性格だが、挙げだしたらキリがない長所を持っている。一目で分かるのは、その顔。あと数年で40歳になるというのに、まるで大学生のような若い顔立ち、さらにイケメンと来ている。
特筆すべき点は、彼の経歴。実は元教師である。その後、海外で旅行雑誌の編集者をやり、各国を飛び回った。
今現在は「海外ニュースを伝える雑誌『ディアー』」で有名な紅葉舎の専属翻訳家兼リポーターとして働いている。
職業柄、危険な場所に何度も行った。が、ここ数年はそういうこともないようだ。
昨日の仕事で、オタワの行政施設に行っていたのだ。寒いところが苦手だったが、意外と現地は寒くなかった。
お土産にと、向こうの偉い人が密かにくれたチューリップを、ビニール包装のままデスクに置いてある。
「花見さん、名は体を表すんじゃないんですか?」
同僚の女性が、そのチューリップを土が盛ってある花壇に入れて持ってきた。
彼女は、花壇の下にさっき編集長からもらったメモを挿み入れた。ついでに預かってきたUSBメモリも置いておく。
「お疲れ様」
彼女は、そう言って給湯室に行くと、自分好みの紅茶を入れてデスクに戻ろうとした。自分のデスクに戻る前に通った花見黒白を見ると、すでに次の仕事を始めていた。
いつ起きたのか、全く分からなかった。彼女が渡したメモには、次のタスクの指示が書かれていた。『USBメモリーに入れたフランス語のデータを日本語に翻訳してくれ』とのこと。
データの内容は、昨日の仕事で協力したカナダ側の要人から、編集長に届いたメールの内容だった。大事な内容であっても、外部に情報を漏らすことがないので、黒白のスキルは必要とされていた。と言っても、今回は私用のメールだった。
「君の部下は優秀だな……か」
デスクに置かれたチューリップを見ながら言った。
今度は君も一緒に来い、と書かれている文面を見て苦笑する。編集長が、飛行機が苦手だということを、カナダの要人は知らないらしい。とは言え、何度か会ってるはずだった。
「編集長、翻訳完了」
黒白は、翻訳したデータを印刷し、編集長のデスクに置いた。
「速っ! 仕事速ぇーよ!」
「不安ですか? 手は抜いてないですよ」
「はっはっはっは。分かっている」
編集長は、事務職っぽいスーツを着ている。私服OKの職場なのだが、編集長はファッションセンスに疎く、着る服で迷ったらスーツという選択をする。
細身で、メガネを掛けているこの男は、映画で見るような編集長とは違って威厳もなさそうな雰囲気だ。が、それは見た目だけで部下からは信用されている。信頼はまた別の話になってくるが……。
「今度は私もカナダに行くのか」
「いい国ですよ。編集長、休暇を取って下見に行ってきたらどうです?」
「遠慮しておくよ。カナダに行っている間に、この椅子を君に取られてそうだ。はっはっはっは」
よく笑う中年男性だ。
「25%は本気だ」
編集長は、ニヤリと笑った。
「君には期待している。私が昇格してから、ここに座ってくれ」
「本当は飛行機が怖いんですよね」
「な、何故、そう思うのかな? 今日の花見くんは、なんか変だぞぅ?」
黒白は、ふっと鼻で笑って、自分のデスクに戻ろうとした。
「ああ、それと。今日、君に回すタスクはもうない。働きすぎだ。一度家に帰って休むといい」
「ありがとうございます」
こんなフリーでも、かなりの大金を得るチャンスがあるのだ、この会社には。自分の仕事を片付けたら、同僚の仕事を手伝うもよし、帰って寝るもよし。ただ、紅葉舎の社員はほとんどが、代打の利かない選手だということ。ほとんど担当するジャンルが違うので、手伝うことは余りないのである。
「ロウ!」
社員の中でも最年少の男が言った。
「おまえも上がりなら、つきあってもらおう」
黒白は振り返る。黒白の過去を知る一部の人間は、彼を「ロウ」と呼ぶ。
「いいだろう」
「今日は負けない!」
二人がやってきたのは、紅葉舎の近くにある公園。最年少の彼は、バスケットボールを指の上で回している。
「森口、手加減はしないぞ」
「ああ! 分かってるさ!」
最年少の彼、森口敦也はドリブルし始める。この公園には、ハーフコートがある。ゴールの高さは、公式と同じ。森口は暇があれば、黒白に1対1の勝負を挑んでいた。
「行くぞっ!」
「来い」
黒白は、両手を横に広げただけで、腰を落とそうとも、森口との距離をつめようともしなかった。
森口はいけると思ったのか、黒白の左側に飛び込んだ。動きがワンテンポ遅れた黒白を見て、すぐにゴールに行けると思った。が、甘かった。
黒白は動いてない。そのまま右手でボールを止めたのだ。森口の左手と、黒白の右手に挟まれたボールは、そのまま停止してしまった。
「と、取らない…のか?」
「いや、頂こ―」
頂こうか、と言おうとした黒白を無視し、森口はボールを弾いた。そのまま転がっていくように見えたボールは、再び森口の手中にあった。
ドリブルを再開し、すぐに黒白の右側に飛び込んだ。
「二度同じ手が通用するか!」
「かかった!」
実は、右側のコースからミドルポストを狙ったのはフェイク。今度は体ごと動いてきた黒白を振り切り、左側のミドルポストまで飛んだ。比喩表現ではなく、2メートルぐらいの距離を一歩で踏み込んだ。
「決める!」
森口がジャンプシュートをしようと構える。ボールを強く押し出し、森口の指先から放たれた。
森口は高校時代、その高いシュート率からバスケットボール部のキャプテンに抜擢されていた。シュートだけではない。走るのも、位置取りも、守備も攻撃もこなす、オールラウンドな選手だった。
森口は、ゴールめがけて飛んでいくボールを見て微笑んだ。
が、その笑顔も一瞬だった。黒白がディフェンスのために、傾けた体の勢いを利用し、回転して体勢を立て直し、すぐにジャンプしボールの軌道上に手を伸ばしてきたのだ。
「つ、強いっ!」
パシッと、いい音を鳴らしてボールをキャッチして着地した。
「次は俺の番だな」
「絶対に負けない……負けるわけには……」
黒白は、ディフェンスの姿勢になった森口を見る。
「腰を落としてディフェンスをするのは基本だが、やりすぎると動けなくなる」
「だから、直立のままディフェンスをしていたのか?」
「そうだ。そもそも習ったことがない」
「まさか、そん―」
喋ってる途中でボールを投げられた。油断した。ボールはゴールに向かって飛んでいく。
「ありかよ、そんなの!」
言って、森口はボールの真下まで走った。軌道を見る。当たったのはゴールの少し上のボード。入らない!
このリバウンドで取れば勝てる。
「俺の、勝ちだぁー!」
森口は叫びながら飛び上がった。が、すぐ隣をより速く抜けていく黒白を見て、言葉を失った。
黒白は、ボードに当たって戻ってきたボールをキャッチせず、そのまま片手で捉えると、ゴールの中に投げ入れた。
「タップシュート……?」
「ああ、これがタップシュートっていうのか」
黒白はニヤリと笑った。
森口は「もう一度!」と言おうとしたが、ボールを持ったままとまった。目の前に、見知った顔の少女が現れた。
「お父様」
「おうっ」
少女と黒白はハイタッチした。
「やるか? バスケ」
森口は聞いたが、少女は首を横に振った。
「お父様を迎えに来ました。そろそろ仕事が終わると思ったので」
「ロウ。いつ未良乃ちゃんに電話したんだ?」
「いや、してない」
未良乃は、黒白の退社時間が一定ではないことは、知っている。だから連絡もないのに迎えにくるのは不可能なのだ。
「お父様がどこにいようと、なんとなく分かってしまう……何故だか、分かってしまう」
「未良乃ちゃん、彼氏とかいるの?」
「とんでもない! そんなもの、お父様以外には作りません!」
未良乃は、自分が言ったことの重大性に気づいて、顔を赤らめた。
「うん、父さんは嬉しいぞ。未良乃が迎えにきてくれたからな」
「は、はい」
嬉しそうな表情をする未良乃を見て、少し心配になる森口だった。
戻る