この世で一番丸い恋
少女は目覚める。
その白く薄いベールを擦らし、上半身を上げて辺りを窺う。
首もとの赤いリボンだけ力を失ったように解け、
今にも地に落ちようとしていた。
少女はリボンを指でつまみあげて、昆虫でも見る子供のようにそれを観察する。
まるでたったいま生まれたような、好奇心旺盛な少女は、
それでも一つだけ知っていることがあった。
自分の体の中心から水が滾々と湧き出ていることを。
いつからか、その小川が過大主張して少女を苦しめた。
完璧な脳を与えられて世に放たれた彼女。
試験段階の彼女には欠点が多かった。
その日の思い出は翌日には持ち越せない。
人の傷を見てもなんとも思わない。
ましてや、自分の傷ですら治癒しようとしない。
まるで自分や他人がどうでもいいかのように。
一日だって記憶の持たない彼女の中に沸く泉。
その泉は何日だって止まることを知らない。
それだけは、覚えている。
彼女の美貌に惹かれた若者達がよりつくも、
誰一人として彼女を誘おうとしない。
彼女の生活時間帯は主に夜。
何故、進んで彼女の眼球を己に惹こうとしないのか。
若者の誰もが知っている事実。
彼女の目には、その眼球と同じく丸いものしか写していない。
まるで何も思考できないような、そんな表情でもいつも夜空を仰いでいた。
すみれ色の空にポツポツと光がこびりついている。
そんなちっぽけなのじゃなくて。
彼女は一等大きい物を、その眼球に焼き付けるように毎晩凝視している。
彼女がそれを最初に見たときは「美しい」と思った。
それを見るたびに滾々と湧き出る彼女の泉は、勢いを増すのだ…
銀色の丸い彼に、恋をしてしまった。
彼女の恋は、小鳥の囀り、ニワトリの鳴き声、市場の開店準備が始まると一時停止をかけられる。
同じ場所に、同じ服装のまま、彼女は仰向けに睡眠する。
電源が切れて、太陽から電力をもらうように、彼女はその四肢を投げ出している。
そのままで彼女は次の夜を待つのだ。
恋の相手にいつか振り向いてもらうために。
何度も暴漢に襲われた。
そのたび彼女は己の細胞ひとつひとつに指令して、全身全霊をもってして敵を追い払った。
それだけ疲れてしまえば、二人三人と続けて襲われてしまえば身が持たないのだが。
再び夜が来た。
彼女は目を覚ました。
しかし、眼球が移したのはすみれ色の空でも銀色の彼でもなかった。
代わりに、六個の白い丸が目の前にある。
それらは規則正しく六角形に整列している。
彼の元へと移動しよう。
そう思って体を起こそうと何度試みても、その上体はピクリとも動かない。
肩は。
脚は。
腕は。
指は。
全て、動かない。
しかし、かろうじて首だけが動く。
なんとか首だけ起こして自分の体を見回すが、胸部に四角い穴が開いている以外、不思議なことはなく、
これといって束縛されているわけでもなかった。
動けないのは単なる充電不足だろう。
彼女は疑問に思った。
ここはどこだろう?ここまで誰が運んできたのだろう?
彼女が思考を開始する前に白くて長い服を着た男達が現れた。
何かを話している。
しかし彼女は言葉というものを憶えてきていない。
彼等が何を言っているのか分からない。
男達は、彼女の胸部の穴を覗いた。
(…ヤメロ)
ほんの一声、彼女の耳に届いた。
それは誰かの声でもなければ、自分の声でもなかった。
彼女は言葉を知らない。
男達が胸部の穴にコードにつながれた棒を何本も入れてくる。
彼女はこの時、初めて「怖い」と思った。
彼女の中で流れていた泉の勢いが緩やかな流れに変わっていく。
(…アイタイ)
彼女の頭の中で響く声は一層強さを増していく。
彼女の中で「欲しい」とか「願う」という想いが生まれた。
同時に自分を拘束している男達に対する「憎悪」も自中の泉の如く沸いてきた。
彼女は目を瞑って、体内の全神経を一斉に背筋に集中させた。
その瞬間、何が起きたのか、彼女は野外に出ていた。
彼女自身、何故そうなったのか理解していなかった。
背後には炎と煙を上げながら崩れる大きな箱が見える。
自分自身、あの中にいたこを理解する。
彼女は再び夜空を見上げた。
今日は風が気持ちいい。
背中に集中した神経からも、空気抵抗でビシビシと伝わってくる。
見上げた空に、輝くものがたくさんある。
しかし彼女の目当ては、一等大きく輝く銀色の彼。
今日の彼は、いつもより大きく輝いて見えた。