辞書の姉弟
書類やフロッピーディスク、スプーンと鰯が乗った皿が散乱した
デスクの上で、時計の秒針が足音だけを刻んでいる。
姉は鰯を頬張り、そのままスプーンを背後に投げた。
こつりと、弟の頭に当たった。
弟は、姉の部屋に入ってきて、トランプカードに手を出した。
指でカードを弄りながら姉に話しかける。
「カードやろうよ、カード」
「今は無理」
姉は、暗い部屋の中で光を放っているモニターに向かって指と目を縦横無尽に駆け巡らせている。
心の病にでもかかったのだろうか。
「カードやろう」
「わかったわ。一回だけよ」
姉は椅子から床にずるりと滑るように落ち、その場に座った。
弟は、それを見てカードを床に置いた。
「もしボクが勝ったら、今夜、一緒に寝て欲しい」
「そういうのダメだけど、いいよ」
何がダメで何がいいのか、弟には分からない。
もっとも、姉も意味を含ませて言ったわけではなかった。
「私が勝ったら?」
「なんでも好きなことしてあげるよ」
腑に落ちないが、了承した。
弟は最初からカードをするつもりは、なかった。
カードを取ろうとする姉の腕をつかんで、そのまま持ち上げた。
「何をするの?」
「一緒に来てほしい」
姉はまた了承した。
弟の部屋に入った。
本棚があって、右から左まで、ぎっしり小説で埋まっている。
その類を好んで読まない姉は、稀に弟から借りて読んだりする。
本棚の端にある一番分厚い本。
その本を取り出して見せた。
「辞書?」
「辞書」
「なんで辞書?」
「なんとなく辞書」
弟がパラパラとページをめくりはじめた。
その指先は読書に手馴れた物で、思い通りのページを開くことができる。
文字がびっしりと敷き詰められているのを見て、姉は機嫌を悪くした。
辞書は特別、好まない本である。
弟が開いたページに、姉は視線を向ける。
さっさと見て、さっさと話を済ませて、さっさと自分の作業に戻りたいのだ。
そこに書かれた三文字を見て、それから姉は鼻で笑った。
「あなたはまだ子供でしょ」
「子供じゃないよ。もう充分大人だよ」
姉は弟の額を小突いた。
弟は、額を押さえながら、にっこり笑った。
「冷蔵庫に、プリンが入ってたよ」
「あとで食べる」
「持ってくる?」
姉は首を振った。
弟は自分の部屋を万年床にしている。
趣味という趣味といえば、読書ぐらいなので、テレビゲームやDVDプレーヤーなどは置かれていない。
ただ、天井にはわけのわからないポスターが張ってある。
何を表すものなのか、さっぱり分からない。
見た感じ、蔦に絡まれた人間のようにも見える。
姉は弟の部屋の椅子に座って、眉間にしわを寄せながら辞書を読んでいる。
見慣れない、聞きなれない言葉を弟から言われて戸惑っている。
「姉さまは、特に何か?」
「じゃあこれ」
弟に対抗するように調べた単語を渡して見せた。
それを見て弟は赤面した。
「まだ子供じゃん」
「大人だよ」
弟は、姉の背後に回りこんだ。
そして、少量の筋肉がついた腕で姉を抱きとめる。
一体何をしだすのか、と振り向く姉の頬に口づけする弟。
「何するの」
弟は机に置かれた辞書を指して、にやっと笑った。
姉は危機感を感じて逃げ出そうとしたが、己のそれと等しい腕に縛られて自由が利かない。
弟は姉を抱きしめて、耳元で何かを囁いた。
「鰯は、美味しかった?」
姉は、びくつきながらも「美味しかった」と答えた。
「ボクのだったのに」
弟は、姉の服の中に手を入れ始めた。
姉は抵抗しようにも、力が入らない。
「そこに寝かせて頂戴」
姉が言うと、弟は優しく、布団の上に寝かせた。
その横に抱き枕のように弟が寝転がる。
「泣いてもいいよ」
姉は、弟の背を撫でた。
姉に抱きつきながら、目を瞑り、そして涙を流した。
「プリンうまかった!」
父親帰宅。
そして姉弟のいる部屋に到着。
「また来週!」
父親去勢。
姉の投げたフォークが原因。
トマトフォーク。
トマフォーク。
トマホーク。
スパゲッティ・ザ・スパゲッター。
「お姉ちゃん、大好きだよ」
「私もよ」
「このまま同じになりたい」
「それとこれとは別の話」
「一蹴された」
と、そこに立ち上がる中年男性。
「仲良しこよし、いいこよし!」
二本目のフォークが頭に立ち上がり、そのまま階段を下りていった。
姉弟は、抱き合って、そのまま弟の言ったとおり、眠った。
窓の外は明るかった。
バイトも学校もない。
最高の二人の生活。
父親は新聞記者で、よく稼ぐ。
すごい。家が大富豪。
母親は、よくわからない。
すごい。
質を並べていけば、すごい。
姉弟は、いつでもいっしょ。
多分すごい。
姉は弟思いで、弟は姉想い。
弟の姉を想う気持ちだけがマッハランニング。
すごいスピード。
でもバレないようにポーカー。
いつしか二人はブラックジャック。
「あ、びっくり豆野郎やるじゃん」
姉が飛び起きた。
弟は、ゆるりと起きた。
「ビデオ撮っておけばいいじゃん」
「時間は?」
「今は二十三時」
「無理じゃん」
「そうだね」
the game is over
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