嫌ですね、帰るのは。
彼女は言った。

一人で帰るのは嫌だ、と。
何故だか分からないし、俺もそこまで拘らないので、どうでも良かった。
彼女が何度言い寄って来ようと、俺はそのまま無視して帰るだけだ。

だが、それが出来なくなった。
なんと、あろうことか、彼女は鍵を海に向かって投げてしまった。
ああ、なんの鍵だっけ…
「寒いですね」
「冬だからね」
「じゃあ家行く?君の家だけど」
「そのまえに一つ教えてくれ」
「なんでしょう?」
「この手錠どうするの?」

愛し合う二人に距離なんて必要ないでしょう、なんて言われたからさっきは叩いてやった。
もうこれ以上、彼女に時間をかけてられない。
さっさと家帰りたい。
冬で夜で、しかも波止場だ。
一歩間違えれば凍え死ぬ。
「手錠はついたままでいいでしょ?」
「仮に、俺達が一緒に暮らすとして、トイレとか風呂とかどうするんだよ」
「一緒に入ればいいでしょう」
「……」
すると、彼女の入浴シーンも
「いやいやいや、ねぇーよ」
「今ちょっと、お風呂の事考えてたでしょ」
「ば、馬鹿野郎!そんなんじゃねぇよ!」
風呂は良いかもしれないが、トイレ二人ってキツイだろ。

うちは理由あって一軒家に一人暮らし、トイレだって一人分のスペースしかない。
まぁ、それは俺が彼女と暮らすという前置きが必要だが。
「さっき捨てた鍵、イミテーションだろ?」
「まっさかぁ」

彼女はそう言って笑っていた。
こいつ、無計画?
「おまえ、着替える時とかどうするんだよ」
「君の前なら恥ずかしくないよ」
「夏」
「うん」
「海」
「うん」
「男女別々のロッカー付き更衣室」
「あ」
こいつ、本当に無計画だ。

なりも頭脳も悪くないどころか、少し良いぐらいと謳われる彼女が、何故、俺に告白してきたのか。
しかも「付き合って」とかじゃなくて「結婚して」なのか。
最初は嬉しい。

今朝、呼び出されて何されるのか不安だった俺は一気に有頂天だったが、
ほんの少し現実的に考えて我に返った。
「俺のどこに惚れたんだよ」
嫌われようと思って、ため息混じりに言ってみた。
「優しい所。このまえだって、私のためにわざわざ牛乳買ってくれたし」
「それぐらいの男なら、他にもいるだろ。おまえぐらい可愛いと、それなりの男は軽く釣れるぞ?」

彼女は、キョトンとして俺の顔を見ていた。
何が不思議だったの。
「なんだか照れるわぁ」
「なんで」
「面と向かって可愛いだなんて……」
「うん……毛並みとか、瞳とか、あと耳とか」
「それだけが取り柄だから」

彼女は、恥ずかしそうに体をくねらせる。
俺に体をすりよせてくる。
あまりすりつかないで欲しい。彼女独特の香りでも付きそうだ。
「なんで俺がおまえを妻にしないのか、分かる?」
「……わからないです……にゃー」
「分かってるじゃねぇーか!」

こいつのナリは普通とは違う。
耳が髪の毛を突き抜けて側頭部より上から出ている。
髪の色もなんだか灰色っぽいし、目のぎらつき方が普通の人間のそれとは全く違う。
そして極めつけ、腰の辺りから、ジーンズ(俺のおさがり)から飛び出た尻尾。
「おまえって猫なの?人なの?」
「猫の人」
「ああ、そう……」

微妙に納得できる答えを返すんじゃねぇーよ!
彼女が、あらかじめ答えを用意してるかもしれない。と気付いた。
「分かった、とりあえず今日は俺の家に泊めてやる」
「本当?やったぁ!」
「だから、この手錠を外してくれ」
「え?それは無理だよ」

彼女はニッコリと笑っている。
まさか、さっき海に投げたのが本物の鍵だなんて……いくら彼女でもそんな事は。
「あ……れ?」

体中が動かない。
おかしい。
手錠でつながれた先の彼女を見る。

つながれているのは、そっちの手首だけだ。
何故だか、反対の腕も動かない。
「おい、おまえ」

両腕だけじゃない。
脚も何故か動かない。
立ち上がった所で、俺の体躯は大の字の形に固まってしまった。
「何かしたか?」

それでも彼女が目の前で微笑んでいたので、冷静でいられた。
やっぱり彼女は俺にとって、結構いい女性だったのでは?と思う。
だが、その彼女も歪んでいく。
「おい、どうした?」

彼女に声をかけても、俺がどんなに叫んでも彼女の表情は笑顔のまま、
しかし輪郭をゆがめていき、背景の倉庫と共にねじれていく。
「お、おい!」

ひと叫びした瞬間、彼女と暗かった周りの景色が消えた。
なんだか不思議な感覚がする。
目の前が真っ白だ。

左を見ても右を見ても前を見ても、真っ白。
両腕両足は何かに押さえつけられているような圧迫感がある。
体中の力が抜けていく。
目の前が霞んで、視界が悪い。
「おい、おい!何をした!」
叫ぼうと思って声を張り上げても、喉が潰れているようで、声が出ない。
「出てこいよ!俺と一緒に暮らすんじゃなかったのか?」
音にならない声を発していると、窓ガラスが視界に入った。
その向こうに見えた人物達は皆、90度反時計回転させたような構図で突っ立っていた。

 

 

 

 

 

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